ハイフェッツの衝撃

先週の朝、車で教室へ向かっている時にふとラジオで流れていたシベリウスのヴァイオリンコンチェルト2楽章が耳にとまりました。教室へは電車を使って移動することが多いし、最近車に乗る時は中島みゆきばかり聴いています。朝のラジオでクラシックを聴くのは本当に珍しかった。そして、それは紛れもなく良い音楽。最近はあまり耳にしないような骨太なサウンドで、ロマンティックな情感が終始完全な気品を備えたまま歌い紡がれていました。続けて3楽章冒頭の有名なソロパートに差し掛かったときには、眠気まじりの僕の意識を完全に覚醒させ、そのせいでアクセルの踏み込みまでもが大胆になるほど。弓は縦横無尽に踊り、放たれた音色はうねり躍動する。技巧は非の打ち所がありません。「とんでもないヴァイオリンだな」もしこれが現代のヴァイオリニストの演奏だったら、たちまちファンになってしまうところだけれど。ラジオだし最近発売されたCDかコンサートの収録なのだろうかと、半信半疑で演奏後のタイトルコールを固唾を飲んで待ちます。「・・・ヤッシャ・ハイフェッツとシカゴフィルの共演」そうゆうことかと思いました。上手な音楽には事欠かない今でも、結局これが最高の音楽なのだろう。これこそがナンバーワンのヴァイオリン。まさにエベレストだ。誰もが認める往年の巨匠の演奏に不意打ちをくらった朝でした。

 

メディアでクラシックの演奏を目にしたり耳にする機会はそれなりにあるけれど、果たして世の中のリスナーたちはどれくらい往年の巨匠たちを聴いているのだろう。そういう僕も最近は聴く事へのこだわりが薄れ、色あせたCDからは遠ざかっていたような。ピアニストでいうと、ホロヴィッツ、ルービンシュタイン、ミケランジェリ、リヒテル、ゼルキン、ハスキル。もっと古い時代ではバックハウス、コルトー、シュナーベルなど。思いついた順番に書いてみた。クラシックを少し勉強しようとする人にとって録音の遺産は避けて通れない。もう一度原点回帰してはどうだろうか。

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一度は置いた包丁を

このブログは音楽活動を綴っていくつもりでスタートさせたもの。自分の名前がついたホームページなのだから、生業である音楽を主体にしていくのは当然のこと。ところが、今年に入ってからはブログの更新回数がめっきり減って、その内容はほとんど趣味的になっています。日々音楽について考えてはいるものの、それ以外の事が結構面白かったりするもので。例えば、最近再開した料理も。

 

意外に思われるかもしれないけれど、学生のときは包丁を握らない日はないくらい、よく料理をしていました。留学の最後の一年は、経済的な事情もあって、夜に飲食店の厨房で働いたことも。レシピは決まっているので何も考えずにテンポ良く作業をしていればいい。体は少々疲れるけれど案外楽しくやっていた記憶があります。それから丸4年間、どうしたものか一度も包丁を触りませんでした。まるでグローブを置いたボクサーのように。人の心境というのは変わるものですね。今回、まとまった連休もあり久しぶりに包丁を握ってみました。きっかけになった赤坂のカフェにて(写真)。ゆったりした空間に喜び、置いてあったレシピ本を開いてみたら、無性に料理がしたくなりました。そこからは早いです。まずは早良区の山へ行って、2リットルのペットボトル8本分の湧き水を調達(今度はタンクを持っていこう)。手始めに昔よく作ったカレーとサンドウィッチを作ってみました。

 

昔と同じものを作る訳にはいかない。だって、あの頃より一回り成長しているはずなのだから。カレーはスパイスから、サンドウィッチに関しては耳を落として断面にもこだわります。腹を満たすためにトルコ米ですら美味しく食べたあの頃とは違うのです。パンは12枚切りを買って、具の厚みやペーストに使うマスタードソースにも気を使いました。シンプルに卵サンドとチーズサンド。ソースを丁寧にペーストして、具を整然と並べます。パンを合わせて、さあ最後の砦はカット。食べるためならここまでで問題はないです。でもちゃんとカットしてきれいな断面を見たいのですよね。サンドウィッチひとつとっても人生の意味合いはかくも違って見える。面白いです。ちなみにサンドウィッチの断面はiPhoneで一応撮ったけれど、見せられません。料理の分野で張り合うにはまだまだ。もし後々評判が上がればこのブログは料理ブログに変わるかも!

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森林浴のようなアート鑑賞

由布院の山間に佇む小さなミュージアム「アルテジオ」へ。音楽をテーマにした現代アートを展示してある、お洒落なスポットです。特別展示期間だったためシャガールやマティスの版画、ルノアールの静物画(油彩)、ルオーなどもありましたが、ジョン・ケージ(作曲家)やコルビジェ(建築家)が遊び心で作ったささやかなアートも転がっています。ふふっと一人笑いしたくなります。この日は早朝に福岡を出発して一番乗り。館内を見ては戻りを繰り返し、図書室で本を開いたりしながら一時間ばかりを気ままに過ごしました。その間訪れた人は40代くらいの物好きそうな女性と、一組の若いカップルだけ。いつも空いている素敵な美術館なのです。室内には小川のせせらぎのように優しく音楽が流れ、前菜程度の数の絵(巨大美術館に比べれば)がまばらに配置されています。広告が打たれた美術展やコンサートホールは、出かける前から後まで「見なくては」という圧力がかかってしまうのですよね。森林浴に行って来たような心持ちになれる、好きな場所です。帰りに隣接しているタンズバーでチーズケーキを食べると「癒し」の完成です。

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マティスの部屋で天気待ち

いい音楽を聴くと、もう一度聴きたいと思う。絵も同じで、いい絵は何度観ても飽きない。初めて観たときの印象は時に鮮烈だったり、時にぼんやりと感じたりでまちまちだけれど、もう一度絵の前に立ったみると「やっぱこれなんだよな」としみじみと感じることができるのですね。いい絵に限って、不思議と。


久留米の石橋美術館には素晴らしい近代画が何点かあります。最近は姉妹美術館のブリジストンからマティスのコレクションが9点とモネ、ルノワール、ルオー他、有名作家の作品も数点来ていたようなので、行ってみました。この美術館はふらっと観て回るにはちょうどよい規模だし、福岡からも車で一時間と程よい距離。ヨーロッパの巨大美術館とは比べ物にならないくらい小さいけれど、一日で鑑賞出来る大きさといえば、おおよそ石橋美術館くらいではないかと思います。まあ、僕の体力による訳だけれども。


エントランスにはいつも豊福氏の彫刻が二点、まるで近衛兵のように、にこりともせずにすっと立っている。福岡ではすっかりお馴染みの楕円形のモチーフ。白黒で撮ってみると見え方が違って面白いです。陰が立体の実在を語っているようです。あるいは、立体からふにゃふにゃと離れて、そのまま出て行ってしまいそうな気も、しなくはないですか。特にマティスの部屋が気に入ったので、一周観て回ったあとに、もう一度椅子に腰掛けて眺めました。外は急に土砂降りの雨です。傘はなし。雨上がりを待つにはなんとも贅沢な部屋だこと。

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恩師と釣りへ

みなさんはどんな趣味をお持ちですか。僕の場合は軽く気分転換する程度なら、酒は好きだし、水泳は続けているし(これは体調管理のため)、ごくたまに車には乗ります。あまり声を大きくして言えないけれど、スイーツもけっこう好きですね。でも大人の趣味といったら、丸一日を棒に振って、お金もそこそこ注ぎ込んで、仕事の最中もぼんやりと頭の片隅に次の趣味デーのことが浮かんでくる。そういうものじゃないかと思うし、実際に僕の周りにはそういう人が少なからずいます。そもそも真っ当な仕事をしている人にとって音楽鑑賞やピアノなんて趣味のようなものでしょうから、遊びが仕事と言われても仕方ないですね。そうは言っても、今年で30歳になったことだし趣味の一つでもあっておかしくないのでは、と常々考えていました。今のうちなら競馬でも園芸でもゴルフでも、一回は付き合いますから是非誘って下さいね。さっそく誘ってくれたのが、中高時代のピアノの恩師である。この日は、朝の4時半に起きて姪の浜へ出かけ、正午まで照りつける日差しの中ねばりました。大漁のアジ子に大物も一匹。もういいだろうと思いきや、先生はその後夕方までねばりねばって肌を焦がし、夕飯に100匹ほどのアジをフライにしてくれたのです。僕は昼間にいったん家へ引き上げて休んでいたというのに。先生っていろいろな意味で先を行っている存在なのだと思います。趣味道というのはかくあるべきだよ、と教えられた気分でしたね。釣りが果たして僕の趣味になるかは分からないけれど、夏の早朝に静かな市街地をドライブするのは気持ちがいいですね。また行きましょう。

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再燃、ゴルドベルク変奏曲

このところ二ヶ月程は真剣に弾き込むことはなく、時間を気にせずに新曲の譜読みを進めていました。20代の時は目標を達成することにこだわっていたから、練習をする時にも、この曲はいつコンサートに出すので何日までに譜読み、弾き込み、通しリハーサルを決行、というように段取りを決めてかかっていたけれど、30歳くらいになると(というか、今だけの気分かもしれない)もうちょっと気の向くままにピアノを弾きたいと思うようになりました。そんな時に着手したのがゴルドベルク変奏曲。この曲への畏敬の念は他のどの音楽作品よりも大きい。出会いまで遡ると、かれこれ17年くらいになるだろうか。まさに音楽への志を立てたとき、傍らにあった楽譜こそゴルドベルク変奏曲だったのですから。これまでに何度か楽譜を開いて弾き始めたことはあったものの、長大であり尚かつディテールを詰めるのが果てしなく厄介な曲だ。長大という点だけならば、シューベルトのソナタ、リストのハ短調ソナタやダンテ、ベートーヴェンのいくつかのソナタなども比較になるでしょう。ところが、ゴルドベルク変奏曲の場合は特にディテールにこだわり始めると収集が着かないほど難しいし、30の変奏曲を有機的な繋がりで見たときには、巨大な壁が立ちはだかっているような気がする。いや、壁に立ち向かうというより、終わりのない旅にでかけるような気分だろう。結局は、まとまった時間がとれずに、これまでも楽譜を開いては放り投げていたのです。今回は散発的ではあるけれど、弾き始めてから二ヶ月が経過しました。後半の三分の一に当たる10曲を譜読みしましたから、恐らくこのまま全曲まで進んでいくと思います。

 

音源も聴き始めました。取り出したのは若きグレングールドの録音。20歳で鮮烈なデビューを飾った時のものです。僕は若いときにグールドの晩年50歳の録音に触れ、そちらの盤をよく聴いたので、若かりしグールドの録音はとても新鮮でした。ドライブ中の車内で二回。爽やかなバッハが時を駆け抜けて行きました。ほんと、あっと言う間に。テンポについて言うと、20歳の録音は今の僕にとっては少し速すぎるし、50歳の録音は少し遅い。年相応のテンポがあるのだろう。さあ、どうしたものか。これから二年くらいは穴に潜る必要がありそうですね。

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うどん屋の流儀

糸島から唐津街道を通って福岡へ帰る途中に、牧のうどんの看板が目に入りました。午後8時近くだというのに、今日は殆ど食事らしいものをとっていません。無性にフニャフニャした博多うどんが食べたくなり、駐車場に吸い込まれていきました。ここは県内十数店舗あるなかで、確か創業時代からある店舗のはず。かき揚げが積んであるカウンターの前に座り、油物を食べたい欲をねじ伏せてたまご入りのうどんを選択しました。プチ減量中なのです。かしわおにぎりは付けるけどね。注文票に自分で書き込みます。

 

厨房の端から端まで製麺機が鎮座し、麺が運ばれる先には湯で窯が待ち受けている。そしてその茹で上げた麺を冷水でしめないままスープを注ぎ、顔中にうどん粉のようなオシロイを塗ったおばちゃんたちが手際良く運んでくれるわけだ。釜揚げされた麺に出汁が入るので、当然麺は出汁を吸いまくって2倍くらいに膨張する。食べ応え十分。出汁はすでに麺が吸い込んでいるので、これではスープを飲みたいうどん派からはクレームが殺到するだろう。その対策というわけではないだろうけれど、「出汁が欲しければ勝手に入れやがれ」と言わんばかりに、注ぎ足し用の出汁がやかんでついてくる。このシステム、他県からみればかなり奇抜だと思います。うどんの値段はワンコインでお釣りがくるほど安い。店は飾り気がなく古びてはいるけれど、不潔な感じがしないし、特に厨房の清潔さはいつも目を見張るものがあるんですね。「うどんを早く安く美味しく食べたいなら、こうなっちゃうよ」という必然的な理由で、店構え、製麺、調理、サービス等、このスタイルに辿り着いたのだろう。首尾一貫していいですなあ。僕は間違って注文表の「かしわめし」にチェックしていたようで、オシロイのおばちゃんはすぐにめしを炊飯器に放り投げ「かしわおにぎり」に変えてくれた。スピーディーで柔軟な対応がまた素晴しいじゃないですか。

あいれふホール発表会 Photo&Movie

3月25日に開催されたスクールの発表会。ビデオと写真を整理して、一部をホームページにアップしました。カメラは自ら一眼レフを持って、隙をみつけてはシャッターを押していましたが、如何せん運営をしながらの作業でナイスショットは数える程。ビデオもプロに依頼する予算はなかったので自分たちでまかないました。それでも音は割ときれいに撮れたかなと思います。是非、スクールホームページをご覧下さい。

http://www.mochicoschool.com/2015-1/


あいれふホールのピアノはオーバーホールを経て、随分良くなっていました。新しくなったピアノで子供とは思えない豊かなピアノの音色が聴こえてきます。ビデオはやはり撮っておいてよかった。親御さんにも大変喜んで頂きました。

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リサイタル これから

書きかけのまま放置していたブログ。FFGホールのリサイタル後、頭の中を整理するのに丸一週間の歳月を要してしまいました。僕にとっては稀な事で、今まで出演したコンサートを振り返ると、どんな演奏をした時でも、図々しく、むくっと立ち上がっていましたから。しかし今回のリサイタルでは、もうすぐ30歳の節目ということもあるのだろうか。レパートリー、スケジューリング、肉体的・精神的なコンディションの整え方について考え直した点は多かったです。留学を終えて帰国してからは(そう、このブログを初めてから)かなり急ぎ足でピアノに向かっていた気がします。綿密、熟成、遊び。自分の録音を聴くのが大嫌いだけど、意を決して耳を澄ませば足りないものがドカンと目の前に浮かんだ。あっちに行き、こっちに行き、いろいろな人生経験が結実してピアノ演奏をより豊かにするのは間違いない。でも結局はひとつのピアノを前に10本の指で何とかしなくちゃいけない。チャンスは一瞬しかないわけだ。大変だよなと思う。想像するだけで、泥のようになって眠り込みたくなります。


ともあれ、地元で開催したソロリサイタルは興行的な面では予想外の成功でした。450人を超えるお客さんが来て下さったようだし、コンサートを通して繋がりが広がったのは何よりでした。リサイタルを応援して下さった皆さん、本当にありがとうございました。今後の活動にも是非注目して下さいね。今ぼんやり頭の中にあるのは、バッハが弾きたいということ。同級生に頼まれていた結婚式のピアノ演奏。もう来週じゃないか。ここはひとまず、バッハにしようと思います。

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タクシードライバーとの話

先日、コンサートを終えた後の帰り道にタクシーを拾ったところ、ずいぶんおしゃべりなドライバーに遭遇した。シート越しに見る後ろ姿は、いかにも巨漢だ。言っちゃ失礼かもしれないけれど、ちょっと高木ブーに似ていた。「すみませんねぇ、さっきの奴、予約車だったんすよ。うち、会社がそこなんでね」。直前に拾い損ねたタクシーのことを言っているらしい。しかし乗ったとたんに威勢がいいな。それから、隣に乗っていた妻と今日弾いたコンサートの感想を話していたら(ほぼダメだしですが)、既に3人でテーブルを囲っていたかのようにドライバーは話し始めた。「音楽家の方ですか」。「ええ、一応ピアノを弾いています。そこでコンサートがあったんですよ」。タクシードライバーが普段どんな音楽を聴くのかは知らないけれど、クラシックというイメージはない。でも、このドライバーは過去にクラシックを聴いていた時期があったという。「どうしてまた、クラシックなんか聴こうと思ったんですか」。素朴な疑問をぶつけてみた。


「あれは、10年くらい前だったかなぁ〜、何の気なしにテレビをつけてましたら、バーンスタインっているでしょ。指揮者で。あの人の姿を観てたらなんだか涙が止まらなくなっちゃって」。これは面白い話だと思って、少し話を続けてもらった。「うちは娘が4人いるでしょ。(いるんだ)。だから、お前らも音楽聴くならクラシック聴けよ、なんつって、しばらくは結構聴いてたんですよ」。それから、ドライバーの幼なじみに一人だけ音楽家がいることが判明。名前を聴いてみると、福岡出身の大物ヴァイオリニストではありませんか。「私はこんなんだから、昔はバンドやってたんですけど、あるときあいつがライブに来たんですよ。そんで、こんどはそいつのコンサートに来いって言われたから、その時もらった花もってジーパンで行ったんですよ。そしたら思いっきり場違いで、恥ずかしかった〜もうっ」。まるでそのリズムは、噺家のようだ。暫くそのまま喋ってもらっていたら、たった15分程の間に娘が4人いること、51歳でおじいちゃんになったこと、しゃべりが荒いのは小倉生まれのせいだということ、運転が荒いのは小倉より博多の方だということ、先週初めて車上荒らしの被害に遭ったことなど、色々と情報を教えてくれた。ちなみに、車上荒らしの手口から推測するに、犯人はどうも外国人だそうだ。「物騒だから、気をつけてくださいねぇ〜」。


世の中には、色々なところで生きている人がいる。好んでクラシック音楽を毎日聴く人など、全体の数パーセントもいないだろう。でも、誰でもふいに訳が分からなく涙が出ることがある。それも、無縁だと思っていたクラシック音楽を聴いて。最高の音楽にはきっとそういう力があるのだ。しかし、もしタクシードライバーが聴いた音楽がバーンスタインでなかったとしたら、一滴の涙も出なかっただろうと思う。

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シューベルトの映画

モーツァルトの生涯を描いた名作「アマデウス」があるのなら、シューベルトの映画もあるはずと思い、調べてみると「未完成交響楽」という1933年に製作されたモノクロ映画があるらしいことが分かりました。さっそく取り寄せて観てみることに。ストーリーの展開がいたってシンプルな古き良き時代の映画。未完成交響曲を作曲していた頃のシューベルトと、恋愛模様が描かれています。シューベルトはハンガリーの貴族エステルハージ家の音楽教師として招かれ、一夏を伯爵家と過ごしました。その頃、令嬢のカロリーナへ想いを寄せ、4手連弾の名曲を書いています。これも是非弾いてみたい曲なんですけどね。まずは4月のリサイタルで演奏予定の20番、D.959を弾かないと。長大な曲なので、ずっと弾いていると迷宮に入り込んでしまいますから、映画はよい息抜きになりました。

 

僕が印象的に感じたのは前半のワンシーン。シューベルトは生活費の足しにするため、リュートを質屋に入れます。事情を察しシューベルトに好意を寄せる質屋の娘はこっそり規定以上の金額を出します。後日、顔を合わせて話をしている二人の耳にきれいなコーラスの歌声が聴こえてきます。「あれは僕の曲だ」。「ウィーン中で有名な歌よ!だったら、あなたはお金持ちのはずよ」と言う質屋の娘に「僕の曲は一度聴いたら覚えられるから、楽譜が売れないんだ」と返すシューベルト。映画の中では、シューベルトが言葉を愛していたこと、いつも詩を探し求めていたことなどが、さりげなく描かれています。言葉こそ、メロディーこそがシューベルトの魅力。他にシューベルト役の俳優が、私たちがよく知る肖像画に一番似ているから抜擢されたのでは、と思う程に、シューベルトらしかったのも良作の一因かもしれませんね。

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JAZZ スタンダードバイブル

生徒さんの中にはジャズを勉強中の方もいて、先日こんな分厚い本をプレゼントして下さいました。「JAZZ スタンダードバイブル」という二冊の楽譜です。なんでも、日本のジャズプレーヤーにとっては決定版だという。アルファベット順に沢山の曲が収録されており、誰もが知っているA列車、枯葉、星に願いをなどはもちろん、文字通りジャズのスタンダードは全て網羅してあります。そういえば、「Real Book

」という似た楽譜をジャズ科の友達はいつも持ち歩いていたな。メロディーとコードが記されているので、みんなこれを日々練習しておいて、セッションでは「あの曲やろうよ、ジャ〜ン!」みたいなノリで合わせてしまうのでしょう。凄いですよね。僕らクラシック畑の音楽家が毎日格闘している楽譜とは全く違います。

 

今月は膨大な譜面と睨めっこしていただけに、シンプルな楽譜で音楽を作っていくスタイルが新鮮です。とはいえ、どちらのジャンルの音楽家もよく練習をしていますね。これだけは事実。ジャズ好きの生徒さんのレッスンでは、この「JAZZ スタンダードバイブル」を使ってイヤートレーニングをします。コードを与えてメロディーを聴きとったり、メロディーにコードをつけたり。とても楽しい時間です。

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天才画家フェルメールと天才贋作者メーヘレン

フェルメールは好きな画家の一人。オランダ留学時代にフェルメールの何点かを観る事ができました。素朴な題材と見事な技法。そしてさり気なく使われた高貴なブルーが好きでした。昨夜は何気なくTVチャンネルを合わせていると、オランダの首都アムステルダムの中央駅がふと映ったのでそのまま見続けました。2時間もある番組を最後まで見るのは本当に稀なこと。僕が通っていたアムステルダム音楽院はこの中央駅近くのウォーターフロントにありました。東京駅のモデルにもなった赤煉瓦の重厚な建築物。滝川クリステルがアムステルダム、デルフト、ライデンの街と美術館を歩き、後半はフェルメールの贋作を描いたメーヘレンの謎に迫るものでした。

 

私たちが観て、すぐにそれと分かるフェルメール作品はオランダの素朴な生活と人々を描いた小さな絵。美しいウルトラマリンの色が用いられた、これぞフェルメールという世界があります。フェルメールも若い時期には宗教画で鍛錬を積んだらしく、現在は僅か2点のみ秀逸な宗教画が残されているようです。その宗教画とフェルメールが到達した小さな世界にはギャップがあり、その間にあたる時期の作品は見つかっていない。そこで天才贋作者メーヘレンは空白の時期にフェルメールが"描いたかもしれない"ような絵を書きまくって大金を儲けたのです。クラシック音楽に置き換えるなら、モーツァルトの作品らしきものを、後世の作曲家がでっちあげるようなもの。プロが技法を真似ることに徹すれば、世間や専門家を騙せるのかもしれません。つい昨年はラフマニノフかブラームスっぽい曲を書いた人が世間を騒がせましたし。

 

贋作者メーヘレンは最後にナチスドイツにフェルメール作品と偽った自分の絵を売って、引き換えにオランダの古典派絵画十数点を取り戻したとか。そのことでオランダからはフェルメールを売った国家反逆罪で捕まりました。疑惑を晴らすために、メーヘレンは公開の場でフェルメールっぽい絵を描きます。釈放されて2ヶ月後、自身の名で絵を描き上げる前にこの世を去ったそうです。映画にしてほしいような面白いストーリーですよね。絵にはミステリーがたくさんありますが、目には見えない音楽にも本当はミステリーが山のように隠されているのでは、と思うのです。

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