色鉛筆画を見に熊本へ

12月は瞬く間に時間が過ぎて、ブログも手つかずのまま年の瀬になりました。12月のイベントは無事に終わり、ピアノスクールのは冬休みに。さっそく気になっていた色鉛筆画を見に熊本現代美術館へ行ってきました。


「鉛筆のチカラ」木下晋・吉村芳生展。「無数の輝く生命に捧ぐ」(写真)は吉村氏の代表作の一つで、僕の自宅にはこの絵を表紙にした2015年のカレンダーがかけてあります。来年は色鉛筆で描かれた花々をめくり、一年を過ごす事になるでしょう。他にもコスモスやケシ、ヒマワリの絵も展覧会では見ることができました。精密な描写の向うに無限の広がりを感じる素晴らしい絵でした。吉村氏が愛用したのはファーバーカステル社(ドイツ)の色鉛筆。ドイツ製の色鉛筆は日本の文具店にはだいたい置いてありますから、使った事がある人も多いのでは。明らかに日本製とは異なる色合いなんですよね。発色がより軽やかで鮮やかです。新聞紙を精密に模写して自身の顔を映した作品や、10メートル以上にわたり黙々と鎖を模写した前衛的な作品もありましたが、僕は個人的に花を描いた色鉛筆画が好きでした。極めて薄く描かれた鉛の層がまるで湿度をつたえる空気のようで日本的だし、西洋の油絵と同じくらいのインパクトもあります。熊本に行った際には是非立ち寄るといいですよ。展覧会は2月8日まで。

ホリゾント 秋のコンサートを終えて

11月最後の日曜日がなんとなく過ぎようとしています。一ヶ月をやりきったので、年末に向けてもうひと頑張り。金曜日には福岡あいれふホールで開催された「ホリゾント 秋のコンサート」でベルガマスク組曲を弾きました。気心知れた先生方や先輩も出演されていたので、舞台袖での準備や打ち上げも楽しく過ごせました。ベルガマスク組曲。この曲はなんと15年の歳月を経て完成されたらしい。と聞くと、渾身の力作であるように思いますが、実際はとてもイマジネーションに富んだ新鮮な曲で、まるで一瞬の印象を得て一気に書き上げられたような感じさえします。僕はベルガマスク組曲にはドビュッシー自身のパーソナルな記憶や思い出が投影されているのではないかと思います。彼はきっとこの曲が好きだったに違いない。だから折にふれて楽譜を引っ張りだし筆を加えたのでは。まるで色あせた写真をふと手にとって、学生時代にタイムスリップするように。

コンサートが終わると、当然のごとくほっとします。日曜日の今日は夕方にレッスンを終えて、近所の酒屋に行きました。何を飲もうかなと迷った末、手頃なスコッチウイスキーを買いました。いつもより早めに食事をして、いつもより無駄に時間を使いました。風呂もいつもよりは熱め。部屋には不釣り合いだけれど、コンサートで頂いた花束が贅沢に飾ってあります。至福の一時。

生徒の親御さんが終演後の写真を送って下さいました。あいれふホールは来年3月25日に開催する発表会の会場です。その時は若いみんなに活躍してもらいましょう。

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PURE マリア・カラス

世の中には魅力的な楽器がたくさんあります。けれど、歌声ほど人の心を癒す楽器ってないんじゃないかな。バッハのカンタータ、ドイツ歌曲、美しいオペラのアリア達。留学中は毎週のようにオペラに通った時期がありました。学生時代にヨーロッパで過ごすと恵まれることが本当にたくさんあるんだな。でも、実際にオペラ全編を集中して観るのは大変な事で、外国語で繰り広げられるストーリーを理解出来ずに終わってしまうことも多かったですね。そんな中偶然気に入った歌手がいれば、長い時間をけっこう楽しめたりする。歌って他のどの楽器よりも好みが分かれると思うんですね。日本で仕事を始めてからは、オペラを観る機会は滅多になくなったのだけれど、なんとも嬉しいCDに出会いました。


マリア・カラス。クラシックファンでなくても知っている人が多いと思います。僕はカラスの歌をこれまで聴き入ることがなかったのですが、それは録音の古さのせいだと思いました。このデジタルリマスターのPUREでは、全身を投げ出し全てをさらけ出して歌うマリア・カラスを音割れのストレスなく聴く事ができます。18曲のアリアの他に初回限定版ではDVDもついているのだから、何とも贅沢なCDなのです。カラス最高の当たり役とも言われるプッチーニ作曲のオペラ《トスカ》より「歌に生き、恋に生き」を聴いた時は、思わず絶句して目頭が熱くなってしまいました。魂の叫びのような歌。この世に生まれたなら聴いておきたい。そんな一曲だと思います。

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森の中の音楽祭

今回のコンサートは佐賀の森の中にある音楽ホールで行われました。大きな窓は全開にされ、風の音や鳥のさえずりの中聴こえるピアノの音。初めて経験する半野外コンサートでしたが、弾き終わった後の空気は清々しく、ここはすっかりお気に入りの場所です。バッハ作曲「マルチェロの主題によるアダージョ」に始まり、ベートーヴェン、シューベルト、ドビュッシーの作品を演奏しました。野外の客席には演奏の途中にもお客さんが集まって来られたようで、気がついたらけっこう沢山の人に囲まれていました。一年を通じて野外で気持ちよく過ごせる時期ってどれくらいあるでしょう。森の空気といっしょに音楽をたくさん吸い込んで。と言える程の余裕はまだまだありませんが、素晴らしい感覚を味わう事ができたコンサートでした。ひょっとすると、りすやたぬきが現れるかもと聞いていたけど、お目にかからなかったですね。ピンチの時に動物達が楽器を持って現れて救ってくれたら、なんて妄想もしてみましたが、そう物事は上手く行かないのです。僕はドイツへ音楽留学していた事もあって、森にはどこか惹かれるものがあります。またこのような機会があればシューマンなども弾いてみたいな。

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モーツァルトの直筆譜

ハンガリー国立博物館でモーツァルトの直筆譜(トルコ行進曲付きのソナタ)が見つかり話題になりました。話題になったといっても日本ではクラシック好きの間で、というか一部のマニアの間だけかもしれないですね。モーツァルトの直筆譜を手にする気持ちを想像するとゾクゾクしてきます。僕はNHKのデジタルニュースで初めて知ったのですが、恐らくヨーロッパのメディアではかなり取り上げられたのではないかと思います。何と言っても、モーツァルトの直筆譜ですからね。このニュースについて鼻息荒く話すドイツの音楽学者の様子が僕の目にはかなりリアルに思い浮かんでしまうのは、7年の留学の後遺症とも言うべきでしょう。でも、それだけ彼らにとって歴史的音楽は誇りなのだと思いますよ。何と言っても、モー!やめておきましょう。マニア臭が出てきそうです。

そんなマニアは休みの日にドイツ語のヴィキペディアやハンガリー国立博物館のサイトを訳しながら読んで、幾つかの情報をゲットしました。これまで存在していたA-durのソナタの直筆譜はたった1ページだけで、残り4ページが新たに見つかったらしい。以前発見されていたページは、僕の訳が間違っていなければトルコ行進曲のエンディング部分。新しいページで一音か、ほんの少しだけリズムが違っていたとしても、けっこう目立つんじゃないかな。有名なトルコ行進曲ですから。このソナタの一楽章は美しいヴァリエーション(変奏曲)です。ハンガリー国立博物館のプレスリリースによると、すでに直筆譜に基づいた演奏会を館内で行ったという。トルコ行進曲付きA-durのソナタが書かれた時期に、モーツァルトが使用したであろうワルター製のフォルテピアノによる演奏で。しかも、演奏したピアニストがハンガリーの名ピアニスト、ゾルタン・コチシュだというから更に驚きだった。ほら、けっこうあちらでは盛り上がってるじゃないですか。何と言っても、モーツァルとの直筆譜ですから。演奏会の模様はさっそくYouTubeにアップされていたので聴いてみました。現在使われている楽譜に比べると、より直筆の方が遊び心がありユーモアを感じるのです。楽譜の中ではほんの小さな部分なのですが、デザインの世界でも言われるように「神は細部に宿る」に違いない。

調べを進めると、今では直筆譜を保存しているヨーロッパの図書館や博物館ではオンラインでファクシミリを公開しているということが分かりました。例えばベルリン国立図書館では「魔笛」や「ドン・ジョバンニ」、ピアノコンツェルトkv.482など全ての直筆譜が閲覧できるのです。これはもう見始めたら寝不足になってしまうので、一時間程でやめました。

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秋晴れの日にはピアノを

秋晴れの今日は、午前中から井尻の教室で弾き込みをしていて、夕方の早い時間には家路につきました。そういえばニュースでも「秋晴れとなるでしょう」と言っていましたね。秋に晴れている事を日本では秋晴れといって、僕は長袖を来て気持ちよく歩ける天気をイメージする訳だけど、実際は結構暑くないかと思います。iPhoneで現在の福岡の天気情報を調べてみると、気温が29度。湿度45パーセントとあった。この天気はドイツやオランダでは真夏です。半袖Tシャツにサンダルをつっかけて、街角でアイスを食べたい。そんな気候。

秋晴れの日にピアノを弾けば、音は乾いた空気を突き抜けてゆきます。井尻教室の壁はコンクリートの白壁で(古い建物なのでくすんだ部分もある)、湿度が低い秋晴れの時期だけは天窓から差す陽光が白壁を照らし、ピアノの音色はヨーロッパで聴こえた響きのように明るい色彩を帯びるのです。僕は留学を経て多くの事を学んだけれど(たぶん)、中でもヨーロッパ的な響きの感覚を7年に渡って味わった事実は大きいと思っています。響きの概念は日本と西洋では大きく違う。それは言葉によるところだったり、人の気質によるところだったりするのだろうけど、気候は直接的に響きそのものを変える要因です。だから、今日のような日には音から湿っぽさが抜けて、音楽しているなって気になるんですよね。ちなみに、今日は10月のコンサートのプログラムを練習しました。ソロで40分程弾く予定で、かなりの弾き込みが必要なんです。もう、大変です。ピアノの音はよく響いても気持ちは追い立てられて、吐きそうです。オエ。

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ショパンエチュード 新タイトルを決めよう

クラシックの曲でイメージとタイトルが一致しない事ってよくあると思います。というのも、ほとんどが純音楽であるバロックからロマン派にかけての作品には、作曲者自身が懇切丁寧に名前を付けてくれたものは少ないです。ベートーヴェン自身がつけたピアノソナタ「悲愴」などはイメージとタイトルが一致する稀な例で、「告別」の冒頭では旅立ちを告げるホルンのモチーフが登場するから、Les Adieux 「告別」の名前には納得できます。副題をつけるときによくある、献呈した人の名前をつけるのも、変な先入観を抱かなくていいので全然オッケーです。

なんで今日はこんな話をするかというと、全日本学生音楽コンクールのプログラムに刷られたタイトルがChopin Etude「牧童」となっていて「あれ、なんだっけ」と思ってしまったからです。僕は断言できるけど「牧童」という言葉は生まれて一度も使った事がない。「昨日警固山の牧童が笛を吹いていてさ、あれはいい曲だったな」。ないですよね。時代は違うし、住んでいる土地も北海道とかではないですし。学生コンクールで目にした「牧童」という言葉は、なんだか前時代的で嫌な感じがした。ショパンと同年代のシューマンはこの美しいエチュードを「エオリアンハープ」と呼んだらしい。どうですか、ずっと詩的だと思いませんか。僕だってネーミングセンスに自信はないけれど「牧童」よりはましな名前をつけますよ。例えば「朝霧のテラス」とか「入道雲はすぐそこに」とかね。

イメージとタイトルが一致してない、とも言えない「運命」「英雄」「革命」。違和感がないのはきっと何百回も刷り込まれているせいでしょう。どれも勇ましく、直立不動すぎてどうなのかと思う。ショパンのエチュードop.25-12「大洋」にいたっては軍艦の名前みたいで好きになれない。久しくお目にかからなかった「牧童」という文字を前にして感じたのは、自由で限りなく個人的な音楽の本質に触れることなく、ただひたすら「血の滲む努力」を強いてきた日本のピアノ教育の悪しき伝統を垣間みたからかもしれない。たぶん、68年前からエチュードop.25-1は「エオリアンハープ」ではなく「牧童」のままなのだろう。もう変えてもいいと思うんだけどね。

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五嶋みどりさんの自己分析

五嶋みどりさんといえば、言わずと知れたヴァイオリン界の神童だった人です。僕は一度だけお目にかかったことがあって、留学先のリューベックで毎年開催されていたシュレスビッヒ・ホルスタイン音楽祭で「日本の音楽」がテーマになった年。何年だっただろう。まあそんなに昔のことではなくMidoriさんはとっくに大人になられていた。音楽祭の一環で大学に一流の演奏家が教えに来ていて、その時のMidoriさんは質素なワンピースにサンダル、お化粧も控えめ、(あるいはすっぴんだったかもしれない)ナチュラルで目立たない印象でした。大学を歩いているときは取り巻きもいなかったので、本当に普通のおばちゃんのようなのだけれど、ひとたびヴァイオリンを持つとバッとマスコミの注目を集め生徒達の目を真剣にした。普段は思わなくても、その時ばかりは「楽器が弾けるというのは特別なことなんだな」といたく感心した。

 

前置きが随分と長くなってしまいましたが、先日ある新聞の特集で五嶋みどりさんを取材してありました。輝かしいキャリアの中でも病院での演奏など社会福祉活動に長年取り組んでこられた思いが多く語られていました。始めた当初に「コンサートに専念すべき」だとか「売名行為」だとか言われたこともあったらしいですね。でも、続けること20年。福祉活動は今のアーティストとしての存在を支えるものになったそうです。僕は現代を生きる若い演奏家は能力を生かして様々な活動ができると考えているし、コンサートホール以外で社会貢献する事は音楽家の使命だと思います。なんだか手あかのついた表現でつまらないですね。つまりは、いろんな人のために音楽が必要だということが言いたい。

Midoriさんが自己評価する能力(写真)。世界を渡り歩いたあげく語学力が10位ですか。音楽そのものが言語ですもの。同感です。意外なのは体力が8位だということですね。僕の知っている音楽家はだいたい体力があり、羨ましいところでもあります。それから1位に分析力・洞察力、集中力、決断力、運を挙げているところから、一瞬を捉まえる能力に長けているというのが推測できます。さすがコンサートアーティストです。今の僕がこの能力リストの中からどれか一つ手に入れる事ができたら、Midori さんの「集中力」を頂戴したいな。なんて思ったり。

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サイラー クリムトカフェで演奏

昨日は南区寺塚にあるオーストリア菓子サイラーのコンサートに出演しました。ドイツの匂いがする生地が好きで、近くに来た時にはパンやケーキを買いに立ち寄っていました。今年の3月からクリムトカフェという名前でカフェスペースが増設され、最近は活発にコンサートが開催されているとのこと。そして、設置されているピアノはなんとベヒシュタイン。ベルリンに本社をおく由緒あるピアノメーカーですね。金色の輝かしいベヒシュタインでカフェに似合うクラシックの小品を演奏しました。ショパンのワルツ、シューベルトのスケルツォ、バッハのフランス組曲、ベートーヴェンのエコセイズなど。短い曲ですが沢山弾いたので結構大変。がっつりした曲は入れてなかったけれど、クラシックの気軽な一面を楽しんでもらえたかなと思います。

以前からあるサイラーのカフェスペースはオーストリアの田舎風で、きっとお店の故郷オーバーエスターライヒをイメージしているのでしょう。それに対してクリムトカフェはまさにウィーンの街角の喫茶。ウィーンの画家クリムトのレプリカがたくさん飾られていました。優雅で上品。クラシックな雰囲気が漂う福岡では珍しいウィーン風のカフェです。

演奏は無事終わったので帰りにオーストリアはリンツ地方の伝統菓子「リンツァートルテ」を買って帰りました。ナッツとシナモンの香りがよく、ジャムが生地にふんだんに練り込んであります。これがとても美味しいのです。フォークを入れた感じがしっとりしていて、パイのようにパサパサと表皮が飛び散らないのもいいです。とにかくお勧め。パンが好きな人にはひと味違ったドイツ系のパンも試して欲しいですね。来年はイブニングコンサートにも出演するかもしれませんので、またお知らせします。

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ペーター・レーゼルが来福

今年アクロス福岡に登場するビックピアニストの中で、かなり気になっている人がいます。ペーター・レーゼル。ドレスデン出身でモスクワへ留学した頃にはバシキロフとオボーリンに師事したという東側のピアニストです。昔録音で聴いた印象は薄く「ベートーヴェンをはじめドイツ系のレパートリーを網羅し、ラフマニノフなども鉄のようなタッチで弾き倒す巨人」。そんなイメージを持ってからはあまり聴いてこなかったのです。ドイツ人としては稀な輝かしいキャリアを歩んだ後、ドレスデン音大で教えているという噂でした。コンサート歴と膨大な録音からして歴史に名を刻むピアニストであることは間違いありません。そんなレーゼルを今、アクロス福岡のアフタヌーンコンサートで聴けるのですから行かねばなりません。しかも、プログラムがいいのです。シューマンのフモレスケとシューベルトのピアノソナタD.959。シューベルトはまさにこれから取り組みたいと思ってる曲です。僕が初めてレーゼルの録音に接したのはもう随分前ですから、今なら違った感想を持つでしょう。もちろん、今は円熟極まった白髪のピアニスト。過去にバリバリならした巨人がどんなシューベルトを聴かせてくれるのだろう。

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自分たちのサッカー

朝起きるとドイツ優勝の知らせが飛び込んできました。予選と決勝トーナメントの戦いぶりからドイツが優位だろうと思っていたので、結果にはすんなり頷けます。そして、第二の祖国とまでは言わずとも、学生時代に5年間住んだ国であるドイツの優勝は素直に嬉しいですね。「それなら早起きして観るべきだ」との声が飛んできそうですが、ごもっともです。まあ、にわかサッカーファンなので許して下さい。

ドイツはあらゆる面でぬかりがない国です。組織作り。若手の育成。戦術の理解。近年は優勝こそ遠ざかっていたものの、毎回ベスト4あたりまで残るのは底力がある証なのだろうと思います。不屈の精神が実って、ようやく手にした成果だという気がします。10年や20年の計といっても過言ではありません。リスペクトです。日本チームは口を揃えて「4年間自分たちがやってきた事を表現する」「自分たちのサッカーをする」と言うけれど、4年という期間はそれほど長い期間だろうか。相手あっての勝負なのに、自分たちのサッカーだけに固執していいのだろうか。まるで呪縛されたように繰り返される「自分たちのサッカー」という表現。裏を返せば、そこまで口に出して言わなければいけない程に私たちは「自分たちがない」民族なのかもしれません。新しい日本代表監督。今度はメキシコ人ですって。4年後の自分たちの行方はいかに。

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ソルフェージュで身に付く音楽の基礎力

6月にはヴァイオリンを習っている中高生二人がソルフェージュのレッスンを受けに来てくれました。ヴァイオリン歴が豊富な2人だったので、リズム練習や音楽理論の話を手短かにして、残りの殆どの時間を聴音(音楽を書き取る練習)に費やしました。2時間に及ぶけっこうタフなレッスンです。聴音は楽器を弾くのとは違う神経を使うから、2人とも「頭痛い」と途中で音をあげそうになりながらも頑張っていました。慣れるまでは大変なんですよね。でも、音を聴くのは楽しい事です。若いうちは1回目よりは2回目というように上達も早いので、それもまた楽しい。

一般的にピアノを習うといえばどんな事をするかイメージできるけれど、ソルフェージュを習うといってもぴんとこない人が多いと思います。ソルフェージュは「視唱」のことで、譜読みの力をつけることを目的にしています。なので、簡単なメロディーを見て歌ったり、リズムを打ったり、音楽を書き取ることもソルフェージュの一環です。音楽を聴いただけで素早く楽譜におこせるようになれば、読譜力も桁違いに伸びます。そうなれば好きな曲がどんどん弾ける訳です。

日本では「ソルフェージュ=ピアノが長続きした子が専門的に受けるレッスン」だと思われがちで、ピアノの先生でも音大受験する場合にだけ教える方が多いです。本来ソルフェージュは決して難しいことではなくて基本は歌ですから、小さい頃から少しずつ積み重ねるのが理想的なのです。ピアノやヴァイオリンを4~5歳から始める場合にはむしろソルフェージュに重点を置いた方が後伸びすると言われています。最近のピアノ教室ではソルフェージュのレッスンを体系的にする所は少ないですが、30分のピアノレッスンでも取り入れる事は十分可能です。モチコピアノスクールではそろそろ聴音に重点をおいたソルフェージュクラスを作ろうかと考えています。他の楽器の生徒さんも加わってくれたら賑やかになりそうですね。

 

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歌舞伎とクラシック音楽の型

今日は音楽から少し離れて歌舞伎の感想を書いてみようと思います。とはいっても歌舞伎の事はよく分かりません。クラシックのコンサートを聴いて「私は音楽のことは分からないけど、云々」と言う方と同じくらい歌舞伎には馴染みがないのです。でも、今回博多座大歌舞伎に行ってみて思いのほか楽しめました。最近人気が出ている愛之助と、染五郎というダブルキャストだったので少しミーハーになれたのかもしれないし、席が一列目のど真ん中で(頂き物ですが)迫力満点だったからかもしれません。「角力場」。染五郎演じる濡髪と愛之助演じる放駒の対照的な両力士のやり取りが面白い演目でした。本当に勉強不足で何も分からないのですが、芝居というか伝統の型というものが、幼い頃から訓練しないと身に付かない代物で、それを継承していくために大変な努力が必要だということは肌で感じ取れた気がします。台詞の抑揚や決めのポーズ(名前があるのでしょうが、ド素人なので)がハマっている感じがとにかく気持ちいいですね。イントネーションがはずれたり手足指先の角度などがちょっとズレただけで格好がつかないのでしょう。素人が真似して睨んで「キイっ!」とやったところで「怪獣ですか」とつっこまれてしまいます。クラシック音楽でも同じです。メロディーの歌い回しひとつとっても、クレッシェンドが早すぎたり、フレーズの頭が大きすぎたり、頂点の音が弱かったりタイミングが少しズレると「なんか違うな」とむず痒い思いをする訳です。芸事にはとにかくセンスと精進あるのみ。日本にも立派な芸事があるものです。また観に行きたいと思います。(今度はチケットを買って!)

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偉大な教育者 J.S.バッハ

今週末は知人宅でサロンコンサートをする事になっていて、バッハのフランス組曲5番とインベンションなども少し弾こうかと思っています。今日は久しぶりにバッハ三昧。毎日の練習でバッハを弾かなかったとしても、インベンションや小プレリュード集を生徒と一緒に勉強するので、バッハの音楽に触れない日はありません。インベンションはピアノ学習者のために、そして対位法のいろはを勉強できるように書かれた作品。バッハは自分の生徒や子供たちのためにインベンションを、後妻のアンナのために「アンナ・マグダレーナ・バッハのための音楽帳」を与え、音楽の素養をつけさせたのです。音楽帳に収録されている曲は、モチコピアノスクールの子供達も喜んで弾いています。バッハの家庭で流れていたシンプルで美しい音楽は、いまでも世界中の家庭に音楽の恵みをもたらしている。そう考えると、バッハは偉大な教育者です。

バッハは様々なジャンルで芸術的金字塔を打ち立て、日課であるミサ曲を何十年も書き続け、喫茶店で学生オケを指揮し、生徒達にカツラを投げつけたりして教え、子供を20人こさえ、そのうちの何人かを後世に名を残す音楽家に育てました。教育にも熱かったバッハのおかげで、僕も随分と恩恵を受けています。バッハに立ち戻ると、頭の中が整理整頓され、心がすっと落ち着きます。バッハが残してくれたのは音楽の「正しい道しるべ」。そんな気がするのです。

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阿蘇の夕映え

GWの混雑はなるべく避けたいけれど、気分転換もしたい。ということで決心して、四連休の初日は阿蘇へ行きました。気になるのは渋滞ですよね。6時前には太宰府ICを通過。早起きの甲斐あってスイスイ流れて気分爽快のドライブです。阿蘇に着いてからは、広い景色をゆっくり眺めて本を一冊読んで寝るという楽しい時間です。太陽が空の色を変えながら沈んでいきます。なだらかな尾根の向こうまで、空を遮る物は何もなし。地平線が暗闇に消え、今度は星空を待ちます。目が夜の暗さに慣れてくると、一つまた一つ星の数が増え、気がついた時には満天の星が天井から雪崩落ちるよう。はっくしょん!山の夜は冷え込みますね。翌日、鼻がグスンとなりながら帰宅しました。今日はGW最終日。スケジュールは空っぽなので譜読みをして、雑用をこなして一日を過ごしました。さあ、明日から通常のレッスンが始まります。

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GWはドビュッシーを弾きます

さあ、今日からこれに取りかかります。ドビュッシーの「ベルガマスク組曲」です。来週の火曜日までGW休みをとっているからには練習あるのみ。第三曲目はあまりにも有名な「月の光」が収められており、僕も何度かアンコールで弾いた事がありますが、全曲を練習した事はありません。その割に雨に濡れたりしてか、既に表紙はしおれています。最近ドビュッシーへの感心が高まっていて、レッスンでも生徒さんに薦めているだけに、しっかりとレパートリーを持っておきたいところ。「ベルガマスク組曲」が上手く進めば、11月に出演するコンサートで弾けたらと思っています。ざっと見た所、二曲目のメヌエットが弾きにくいですね。かなり大変そう。ドビュッシーの曲を極めて美しい音で弾こうとすると、相当なテクニックが必要です。これからレッスンにも積極的に取り入れていきたい作曲家の一人です。

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シンガポール公演

コンサートの翌日、シンガポール滞在の最終日には街を見て回ることが出来ました。有名なマーライオンがある所まで行き、コンサートホールの外観に近づいていきます。まあ、こんな斬新なホールだったのですね。こちらからだと分かりませんが、とげとげした半球が2つ並んでいます。ドリアンの形をしたシンガポールの舞台芸術の発信地「エスプラネード オン ザ ベイ」。他にも、シンガポールには面白い形の建物が目白押しで、建築家にとっては楽園ですね。

 

南国特有の解放的な雰囲気はクラシック音楽界でも例外ではなく、こちらの演奏家のオープンマインドな演奏といったら、それはもう刺激的でした。共演したヴァイオリニストのアレクサンダーさんとまさこさんの開放的な音楽性と、フレンドリーな人柄にはすっかり魅了されましたし、お客さんの雰囲気もとても良かったです。お陰でリラックスして演奏できました。クラシック音楽は世界中で愛好されていますが、シンガポールでもその風土と解け合い、シンガポールらしい楽しみ方が広がっているのでしょう。お客さんを楽しませる事への情熱。これは凄かったな、と思います。

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笑っていいとも最終回

ピアノの練習ってほんと骨が折れるよな、とボヤいて今練習を終えたところです。今日は休みだったので、来週のコンサートで弾くヴィヴァルディのConcerto Grosso のオケパートと、プッチーニのアリアの伴奏パートを弾き込んでいました。大変なのはもちろん、ヴィヴァルディの方です。そう、「四季」を作ったヴィヴァルディさんですね。バロック時代のコンチェルト(協奏曲)はソリストとオーケストラの文字通りの「競争」という意味があります。だじゃれじゃなくて、本当に。となれば、オケパートも本気で弾かないと曲の格好がつかないことになりますよね。競争相手が弱ければ、面白くありませんから。今回は出演が決まってから本番までの期間が短く、残された日数は今日を含めてあと5日。

 

《めんたいワルツ》は大盛況で終わったし、昨日は生徒のコンクールも終わったし、今日は「笑っていいとも!」が終わります。正直、今夜のグランドフィナーレをビールを飲みながら、だらだら見たいな、と思ってしまいます。しかし、残された日数と練習状況を考えるとそれは難しそう。「笑っていいとも!」はとても馴染み深い番組です。タモリさんは我が母校「筑紫丘高校」出身で僕の叔父とは同級生。ピアノをやっていたせいで、中学・高校と学校をさぼった日も多かったけれど、そんな時はよく「笑っていいとも!」を見ていました。さぼったとはいってもピアノの練習をするためで、将来が不安だとか、練習が大変だというありきたりの悩みを抱えているとき「どうにかなるさ」と勇気くれたタモリさん。ありがとう。本人がいくら気楽な番組だといっても、32年間続けるというのは、普通の人が出来ることではないですよね。続けることの大切さ。辞めないための最低限の努力。手を抜くこと。いろいろと教えてもらったことは多いです。

 

書いているうちに日が暮れて来ました。ああ、やっぱり今日は「笑っていいとも!」を見るべきだ。誰もが、そんな息抜きが必要だと思いますよ。

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春日和

三月は「去る」。今朝、警固小学校の前を通りかかると、ブレザーを装った小学生達とすれ違いました。今日は卒業式なのですね。うちの生徒さんによると、卒業式の進行は僕の頃と変わらぬままのようです。一人一言で繋ぐ答辞も。「春、旅立ちの、春!」彼らはどんな言葉を胸に最後の通学路を歩いているのだろう。

 

3月になると、モチコピアノスクールからも卒業生がでるかもしれない、と思っていたけれど、今のところ知らせは入っていません。ありがたいことに。4月からの募集は順調で、もうすぐ僕一人で担当出来る人数の限界に達する見込みです。となると、3年後を見据えてモチコピアノスクールの運営を考えなくてはいけません。それから、3/29(土)に開催する《めんたいワルツ》。初めてフェイスブックページを作って人を集めたのだけれど、期待した通り、いや、それ以上に多くのピアノ愛好家の方が集まって下さいました。嬉しい反面、困った事も。土日限定でフェイスブックページの広告を出したら、いかがわしい「なりすまし」が続出。その駆除対策に一時間かかってしまいました。まったく、春日和に面倒をしてくれたものです。FacebookやLINEにそろそろ疲れてきた人も多いのでは。そんな時、一人ピアノを弾く時間は、それが大変な練習だとしても、とても贅沢に感じられます。

 

生徒との出会い、めんたいワルツでの出会いがあり。そして今は、来月のシンガポール訪問に向けて練習中です。気分転換に表に出たら、春日和に包まれる。そんな季節もあっという間に「去る」のだから、今を存分楽しみたいです。

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北ドイツ、ウィーン視察から帰国

ドイツ視察旅行から帰国して息つく暇もなくレッスンに直行。幼児園に行ってみると新顔が二人増えてワイワイ、キャーキャーと賑わっていました。なんという子供のエネルギー!それから井尻教室へ向かいモチコピアノスクールの生徒さん達と顔を合わせました。この日は全員よく練習してくれて、レッスンもスムーズに流れて一安心。携帯で撮ったドイツの写真を見て目を輝かせて喜んでいる様子を見ると、幸せな気持ちになります。僕がドイツに憧れた年頃よりずっと若い生徒達です。いい刺激を受け取って音楽を好きになり、ピアノの練習にも励んで欲しいですね。子供は好きになれば努力を惜しまないから。せっかくドイツまで行くのだから、旅の様子を記録して伝えたいと思いました。その日にiphoneで撮った写真を選んで文章を書く。眠りながら書いた日もあったけれど、ひとまず毎日ブログを更新する目標は達成出来ました。全てモチコピアノスクールのスタッフブログにアップしているので、そちらを是非覗いて下さい。この写真は懐かしの北ドイツ、ハンブルク市庁舎。

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ドイツ・オーストリア視察旅行計画

来週からドイツへ行く事になり、急ピッチで準備しています。2011年の暮れに帰国して以来久しぶりの海外です。滞在期間は一週間程で前半にアート関係会社の通訳として同行し、後半は自由時間なので視察という名の旅行をしようと思っています。昨日ドイツでの仕事の全日程が決まったので、その後の旅行用フライトをブッキング。行き先は音楽の都ウィーンです。若かりし頃7年間もヨーロッパに音楽留学していたのに、ウィーンだけは一度も行けなかったから。今回の旅行、できればモチコピアノスクールのためにドイツのある楽譜出版社を訪問したいと画策していたのですが、準備期間が短いだけに上手く事が運びませんでした。そう簡単に仕事に繋がるものではありません。なのでこの際、心残りだったウィーンへ行って自分の体で沢山吸収して帰ろうと思います。ガイド片手に観光してお土産にモーツァルトのクーゲルチョコを買って帰る、なんて事にならないようにしないと。とか言っておきながら、買ってしまった地球の歩き方最新版。必要な情報はネットで調べられるんだけど、やっぱりこの本凄いですね。何も計画せずに旅立っても、これ一冊でなんとかなるのだから。

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ピアノを求めて糸島へ

生徒さんからピアノ選びのご相談を受け、お世話になっているピアノ工房へ行って来ました。寒波が退いての日曜日だったので、目的地の糸島へ続く道はどこも渋滞。出かけたくなる気持ちはみなさん一緒ですね。いよいよ春が待ち遠しくなります。お目当てのグランドピアノはほぼ仕入れたままの状態で、これから一ヶ月半ほどかけてオーバーホールする予定とのこと。古いピアノですが生まれ持った響きはとてもふくよかで、外見はよき時代を思い起こさせるレトロなシルエットでした。低弦側の側面には「免」の金文字が施されています。この印は消費税が始まる以前に物品税が免除されているピアノに付けられていたのです。学生がピアノを購入する際は免税されたそうです。実際にこの文字が入っているピアノを見たのは初めてでした。珍しいとはいっても文字は消してキレイに磨き上げての納品になります。見た目も大事ですから。ヨーロッパでは住まいや道具の手入れをして、代々受け継ぐ考え方は一般的。ピアノは50歳でも決して古くはありません。生まれ変わった今日のピアノは、どんな音色を奏でるのでしょう。

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モーツァルトのコンツェルトを弾き終えて

なるべく華やかにという主催者からのご要望があり、初めて胸ポケットにハンカチーフを入れました。そしてスーツは持っているなかで一番上等なブラックを。花束を持って、いつもより少しは華やかになったでしょうか。派手なのは似合わないですから、地味なりに上手く引き立てないといけません。衣装と音楽センスは通じるものがあります。

 

昨日のコンサート「ボストン室内管弦楽団 福岡特別公演」は大盛況でした。とくにモーツァルトの協奏曲で出演した第2部は、800席が完売。1部〜3部で1800人以上のお客様が御来場されたのです。正直、ビックリです。このコンサートがきっかけになり、福岡のクラシック音楽シーンが元気になって欲しいですね。モーツァルトはやっぱり難しい。だけど、最高に楽しい。3楽章のカデンツァの後、ファゴットから始まるコーダに差し掛かった時、終わりたくないと思いました。名残惜しさがどっと押し寄せて来ても、音楽は走り続けます。沢山練習して、またモーツァルトに会いに行きたいです。

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モーツァルトk.v.466 リハーサル開始

新年のご挨拶もしないまま気がつけば一月も半ばになってしまいました。2014年、一本目のブログとなります。今年も音楽生活を気まぐれに綴っていきます。どうぞ宜しくお願いします。

 

先週は通常のレッスンがフル回転でスタートし、19日のコンサートに備えて筑女フィルの皆さんとのリハーサルが始まりました。特に週末は目が回りそうな忙しさで、疲れたなと思ったら喉の調子がおかしいではありませんか。じりじりと痛む、嫌な予感。慌てて夜は葛根湯を飲んで寝て、昼間はプロポリスのど飴をなめ続けてしのぎました。そのかいあって?今日は調子が戻っています。水曜日にボストン室内管弦楽団との合同リハーサルがあり、日曜日が本番です。モーツァルトのコンツェルトk.v.466。不安げな冒頭のモチーフさながらに、のがれられない不安を抱えた一週間を送ることになりそうです。

 

ボストン室内管弦楽団と地元福岡の音楽家、大学生、運営委員が一丸となって開催する音楽祭。今週の日曜日、お時間がある方は是非コンサートにお越し下さい。きっとワクワクする時間になりますよ。

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