祝・ベニールカフェ5周年

今日お祝いで演奏したのは、とても馴染み深いベニールカフェ。カリスマコーヒーマスターの平田氏から若手ホープの真木さんへと受け継がれたコーヒーの名店です。ヨーロッパ留学を終えてからは、何度も企画コンサートをさせて頂きました。その流れで、今はアマチュアのピアノ交流会「めんたいワルツ」を定期的に開催させて頂いています。まあ、レッスン室向かいの至近距離なものですから、よく僕と周りの人たちは出入りをしています。こんなカフェがお隣さんだなんて本当に幸せです。

 

この日はカッファ時代(昔の店名)からの常連ミュージシャンたちが一同に顔を揃えるという、同窓会的なコンサートでした。クラシックギター、アコーディオン、即興ピアノなどなど。私はバッハを30分程演奏して「バッハだけのコンサートもいいねえ」と言っていただき上機嫌です。これからも、いつも身近にコーヒーと文化の香りを伝えていってください。5周年おめでとうございます!

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大人の寛ぎ

今更ルービンシュタインのショパンが素晴らしいことを書いても平凡な記事になってしまいそうですが、やはり一度は彼のピアニズムについて触れておきたいと思います。僕が音楽を志した12か13歳の頃、ピアノの恩師の家にこのCDボックスが置かれていました。なにしろ10枚組くらいのアルバムだからきっとそれなりに値打ちのするものだったと思います。ショパンの曲を仕上げた際には時折このボックスが解禁され、ビロードのように上質なショパンの歌がレッスン室を満たしました。エレガンスという言葉をたぶん当時は理解できなかったけれど、それが決して猿真似できるようなものではなく、人が生来備えている品位と芸術家の鍛錬によるものだということをなんとなく想像した気がします。とんでもない技術を「ぼく、とんでもないよ〜」と主張する演奏は割と多い。けれど、ルービンシュタインの演奏はあくまでスタイルに忠実で、音楽の根幹であるリズムが真に正確であるがゆえ、聴き続けても決して飽きることがありません。

 

今はこんなショパンボックスが僅か三千円足らずで手に入るよき時代。YOUTUBEで手軽にポチポチ聴けるのは便利だけれど、ゆっくり腰を下ろして音楽に耳を傾けたいですね。とくにルービンシュタインのショパンは大人の寛ぎにふさわしい。片手に何を持つかはあなた次第だ。僕は先日からマズルカ、ポロネーズの順番に聴き進めたところで、今夜あたりノクターンに入ろうかと思っています。

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タッチの好み

しとしと雨が降り続く梅雨の合間に警固のレッスン室に置いているディアパソンを調律しました。鍵盤のばらつきが気になるようになっていたので、これを機に0.2グラム重く調整して頂きました。タッチの好みというのも人それぞれ。粘り強いタッチが好きな人もいれば、軽やかなタッチが好きな人もいる。また、レパートリーが増えると弾く曲に応じてタッチを変えたいというのも、ピアニストの自然な欲求でしょうね。ブラームスを弾く時には重く指にしっかりと抵抗するように、ドビュッシーを弾くときには軽く音の粒がはっきりと立ちあがるように、といった具合に。

 

レッスン室のディアパソンは本来しっかりめのタッチだったものを軽く俊敏に反応するよう改良してあって、特にドビュッシーには向いていると自負しております。音が混ざり合ったときにスーっと水平に広がるような響きが、なんだか心地いいのです。そんないいところがあるディパソン君ですが、僕が最近取り組んでいるレパートリーがバッハ、モーツァルト中心で、原点回帰する方向にあります。となると、音の粒立ちの良さとタッチの均一性を求めたくなるのですね。全てを一台に求めるのは無茶な話です。でも、もし仮にオールマイティの一台を選べと言われたらスタインウェイを選ぶべきだと思います。(もちろん、値がぐっと張りますけどね)

 

久しぶりの投稿でピアノのマニアックな面が強調される結果となりましたが、これからも時折更新したいと思います。なにせ最近は書く暇が無くなってしまって。

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羊と鋼の森

「"羊と鋼の森"っていう題名の本なんだけど、音楽家のあなたならピンとくるんじゃない」と知人から薦められた本。なんでも本屋大賞をとったことで、今話題なのだとか。羊と聞いて僕が真っ先に思い浮かべたのは弦楽器。今ではほとんどがスチール弦に変わっていますが、ひと昔前までは羊の腸で作るガット弦が使われていました。パブロ・カザルスのチェロにはまさにガット弦が使われていて、貴重な録音から今でもその音を体験することが出来ます。まるで高電圧線に触れたような体の芯からビリビリするような音を。先に弦をイメージしてしまったので、羊と鋼がピアノのことだとは全く思いつかなかったのです。そう、これはピアノと調律師にまつわる物語。羊毛はピアノのハンマーに使われていますからね。

 

若い調律師の心の葛藤を、出口のない森をさまようかのごとくもんもんと綴っている。華やかな世界ではない。大きなクライマックスがある訳でもない。けれど、深いピアノの森をさまよった最後にはじんわり心が暖かくなる話でした。それに、あまり知られる事のない調律の世界に誘ってくれる珍しい一冊ですね。調律師の仕事をジャンル分けするのならたぶん職人と考えるのが一般的だと思います。技術を磨いてコツコツと鍵盤を叩いて音を作っていきます。でも一般の人からすると「音」の善し悪しって、あまりにも捉えにくいですよね。目で見えないし、一つの音について言葉で表現するほど難しいことはありません。感覚的に確かであり、確かでないもの。安定したチューニングが出来るようになるにもそこそこ大変で、その先の美しい音を求める道のりは果てしない。けれど、案外まっとうに育ってきた素直な人がたどりつくのかもしれません。仕事について考える現代の若者にも届けたい本です。

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春のさざ波アーシング

久しぶりに自分のホールページを開いてみて、びっくり。2011年の帰国以来ずっと続けてきたブログが昨年の11月のままストップしているではありませんか。「しばらく、書いてないな」とは思っていたのですが、時間が流れるのは速いものですね。そして人は怠慢路線を走り始めると、直ぐに引き返すのが難しいのです。でも、安心してください。生きてますよ!午前中はバッハの練習をして、レッスン用に何曲かをざっと譜読みをします。生徒たちの練習曲も、チェルニー30・40・50番。ブラームス51の練習曲と大人びてきたし、ソナタ規模の曲も雨あられで降り掛かってきますから、これはもう、どれだけ勉強出来るか生徒たちとの競争です。これからは、中高生の受験生指導にとことん取り組むスクールの体制作りが課題。そして、バッハのゴルドベルク変奏曲をとことん弾き込むこと。いずれもがっぷり四つでなければやり通せまい。

 

さて、今日は3月5日。暖かく柔らかな日差しが心地よい土曜日です。先日は山へ行ったので、今日は海へと思いつき、とりあえず近場の愛宕浜へ。外へ出て「あっ、暖かい」と感じる完璧な春日和です。端から端まで、2キロほどはありそうな人口浜沿いの遊歩道を往復しました。愛宕浜は百道浜と同じく人為的に綺麗な弧の形に整えられた海です。家からは百道浜の方が近いのだけれど、こちらの方がより落ち着いた雰囲気なので好きです。空が高く、さざ波も透き通っていました。波が通った砂地を裸足でペタペタ歩いてみると、ひんやりして気持ちがいいですよ。これも今流行のアーシングっていうのになるのかな。なんでも、人の体には電気が溜まっているらしく、自然と直に接触することで電気を体内から流すのだとか。まあ、今立っているのは人口浜なのですが。それでも体はすっと楽になった気がします。さあ、暖かくなったことだし、エンジンを入れて行きますよ。