タクシードライバーとの話

先日、コンサートを終えた後の帰り道にタクシーを拾ったところ、ずいぶんおしゃべりなドライバーに遭遇した。シート越しに見る後ろ姿は、いかにも巨漢だ。言っちゃ失礼かもしれないけれど、ちょっと高木ブーに似ていた。「すみませんねぇ、さっきの奴、予約車だったんすよ。うち、会社がそこなんでね」。直前に拾い損ねたタクシーのことを言っているらしい。しかし乗ったとたんに威勢がいいな。それから、隣に乗っていた妻と今日弾いたコンサートの感想を話していたら(ほぼダメだしですが)、既に3人でテーブルを囲っていたかのようにドライバーは話し始めた。「音楽家の方ですか」。「ええ、一応ピアノを弾いています。そこでコンサートがあったんですよ」。タクシードライバーが普段どんな音楽を聴くのかは知らないけれど、クラシックというイメージはない。でも、このドライバーは過去にクラシックを聴いていた時期があったという。「どうしてまた、クラシックなんか聴こうと思ったんですか」。素朴な疑問をぶつけてみた。


「あれは、10年くらい前だったかなぁ〜、何の気なしにテレビをつけてましたら、バーンスタインっているでしょ。指揮者で。あの人の姿を観てたらなんだか涙が止まらなくなっちゃって」。これは面白い話だと思って、少し話を続けてもらった。「うちは娘が4人いるでしょ。(いるんだ)。だから、お前らも音楽聴くならクラシック聴けよ、なんつって、しばらくは結構聴いてたんですよ」。それから、ドライバーの幼なじみに一人だけ音楽家がいることが判明。名前を聴いてみると、福岡出身の大物ヴァイオリニストではありませんか。「私はこんなんだから、昔はバンドやってたんですけど、あるときあいつがライブに来たんですよ。そんで、こんどはそいつのコンサートに来いって言われたから、その時もらった花もってジーパンで行ったんですよ。そしたら思いっきり場違いで、恥ずかしかった〜もうっ」。まるでそのリズムは、噺家のようだ。暫くそのまま喋ってもらっていたら、たった15分程の間に娘が4人いること、51歳でおじいちゃんになったこと、しゃべりが荒いのは小倉生まれのせいだということ、運転が荒いのは小倉より博多の方だということ、先週初めて車上荒らしの被害に遭ったことなど、色々と情報を教えてくれた。ちなみに、車上荒らしの手口から推測するに、犯人はどうも外国人だそうだ。「物騒だから、気をつけてくださいねぇ〜」。


世の中には、色々なところで生きている人がいる。好んでクラシック音楽を毎日聴く人など、全体の数パーセントもいないだろう。でも、誰でもふいに訳が分からなく涙が出ることがある。それも、無縁だと思っていたクラシック音楽を聴いて。最高の音楽にはきっとそういう力があるのだ。しかし、もしタクシードライバーが聴いた音楽がバーンスタインでなかったとしたら、一滴の涙も出なかっただろうと思う。